西国三十三霊場観音巡りマラニック

第二十七番  書寫山 圓教寺



武藤 翔峰   平成21年12月8日


小赤穂義士マラソンの前日、12月5日(土)、西国三十三観音霊場 第二十七番 書寫山 圓教寺を巡り、無事念願の西国三十三観音霊場満願を達成した。
最初に西国三十三観音霊場を訪れたのは昭和62年9月6日第十六番音羽山 清水寺、 第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺だったが、足掛け23年で無事全部を巡ることができ、その幸せをかみ締めている。

ここは私が初めて会社に就職し配属されたところが会社発祥の地、加西市の北条工場であったため、懐かしい場所であり、また姫路は新婚時代を過ごした思い出の土地である。40年振りに再び工場付近を訪れてみたが当時の面影は全くなく、当時楽しい思い出や厳しい修行時代の思い出の詰まった北条工場はリストラでイオン加西北条ショッピングセンターとなっていた。これも悲しい現実であろう。

圓教寺は西国三十三ヶ所霊場の西端に位置する寺である。東の比叡山に対して西の比叡山と称せられているとおり、寺域も広く立派な堂宇も多く建ち並んでおり、文化財も数多く所蔵されているようである。
九州の霧島山で修行した性空上人は霊地を求め、この地にきたところ、紫雲がかかっている書写山を見て、この山に入り康保3年(966年)に草庵を開いたとされている。
性空上人の徳はこの地方のみならず、広く都にまで知れ渡り、花山法皇は二度もここを訪れ、圓教寺の名を賜ったという。後白河法皇、後醍醐天皇もこの寺を訪れたといわれている。
また、武将の信仰も厚かったようで、本多、松平、榊原の姫路城主の墓もここに残されている。
それだけに、寺の格式も高く、天台宗の三大修行道場の一つに数えられている。
宗派:天台宗、本尊:坐像如意輪観世音菩薩 、開基:性空上人である。













  





  







  



  




  





 













  

  



  












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