南極大陸マラソン

フル百回楽走会     岐阜 No.593 武藤 彰   


武藤彰


日本人で2人目,世界で46人目の世界7大陸フルマラソン制覇を果たす

2001年2月7日、太古の自然を今に残す最後の大陸、南極大陸で行われた第四回南極マラソンを4時間58分53秒で完走し、日本人で2人目、世界で46人目の世界7大陸フルマラソン制覇を成し遂げることができた。このレポートは、これから南極マラソンに参加してみたいと思っている方に、参考になるようまとめたものである。

1、南極マラソンとは
地球上に残された最後の楽園、南極大陸でフルマラソンを走ってみたいというランナーの夢を叶えるべく、ボストンの"Marathon Tours & Travel"が募集しているツアーで2年毎に開催され、今年は4回目となる。これまでの参加状況は次の通り。
回数   開催日   人数(うち日本人)
 第1回 1995年1月31日   84人(0)
 第2回 1997年2月17日   81人(6)
 第3回 1999年2月13日   112人 (0)
 第4回 2001年2月 7日   108人(5)
今年は世界14ヶ国から108名が参加し、フルは92名(男67名、女25名、最高齢桜井さん75歳、最年少16歳)ハーフは16名(75歳〜15歳)で、日本人はフル百回楽走会竹田会長、桜井副会長、可児副会長、私の4名と現地で飛び入り参加の旅行者1名(ハーフ)の5名だった。
これまで、世界7大陸のフルマラソン完走者は世界で45名おり、今回のフル参加者のうち、7大陸完走を目指すランナーは2名で、私がそのうちの1名であることに大いに力づけられた。

2、エントリーの方法、費用
私がインターネットで申し込んだのは1999年12月で、すでに80%以上売れていてそのあとしばらくして完売した。費用はベノスアイレス集合、解散で4019US$,成田、ベノスアイレス往復チケットは19.2万円。第5回からは毎年開催となったが、2002年はすでに完売済みで、第6回2003年は2001年3月より以下のWEBサイトで募集開始される。人気が高いので早めに申し込んだ方が良い。
   http://www.marathontour.com./

3、コース、服装、シューズ
レースは基本的に南極大陸キングジョージ島で行われる。コースは、ロシア基地をスタート、ゴールとし、ペンギンの糞やぬかるみの多い道をウルグアイ基地まで約3マイル進む。それから海岸の石ころ道を通り、傾斜約13%の氷河を880ヤード登って、そこで折り返しとなる。そして、スタート、ゴールまで戻り、今度は、チリ基地を通り、中国基地まで約3マイル進む。そこで、折り返してスタート、ゴールまで戻るとハーフの距離となる。これをもう一度走ってフルマラソンの距離となる。全体にアップダウンの多いきついコースで、通常のコースより1〜1.5時間余計にかかる。
水は、コース上の2箇所とスタート、ゴールに置かれるので、給水はスタート、ゴールを含めると合計12回可能。
服装は、下がロングタイツ、上はTシャツプラス長袖で必要に応じてウインドヤッケを着る。耳を覆う帽子と手袋は必須。シューズは底の厚いトレッキングシューズがよく、ハーフ時点で履き替え出きるよう2足持っていくとよい。
今回は5日に行われる予定であったが、波、風が強くて上陸できず、レースは延期となり、6日も同様、天候待ちの状態であったが、上陸できなかった。しかし、7日の天気予報も波、風が強く上陸できる見通しが立たないため、南極大陸アンドボード湾に移動し、オーロラ号の甲板上での洋上マラソンとなった。

4、船酔い対策、船内生活
世界一荒れると言うドレーク海峡を航行するため、日本から船酔い対策を準備して行った。
ひとつは、釣具店に1800円くらいで売っている船酔い止めバンドで、乗船時から着用した。また、船酔い薬は、中年男性には前立腺に副作用を与えるため避けた方がよく、私は精神安定剤(コントロール5mg、1回2錠)と吐き気防止薬(ナウゼリン10mg、1回1錠)を持参したが、バンドの効果あったのか船酔いにはならなかった。
船内のキャビンは、狭いながらもベット、トイレ、シャワーが完備し快適である。航海の時も南極についてのレクチャーがあり退屈しない。船内での食事はおいしく、ビール、ワインも豊富にある。日本から緑茶、梅干、スルメなど日本食を持参すれば一層快適な生活を送ることができる。時間はたっぷりあるので、海外の冒険ランナーと親交を深めることができる。


5、日程
1月27日:成田‐ダラス‐マイアミ経由でベノスアイレスに42時間40分かかって到着
1月29日:朝ベノスアイレス、コンチネンタルホテルに集合、午後1時間のジョギングを行う。夕食には、ウエルカムパー     ティ、歓迎ディナーがあった
1月30日:午前中、市内観光、午後はフリー
1月31日:朝2時半起床、5時50分発のフライトで世界の最南端都市ウシュアイアに9時15分到着
出航は、19時10分、それまでショッピングなどを楽しむ。乗船したオーロラ号では、歓迎ディ      ナーが開かれた
2月1 日 :丸2日間南極大陸に向け約1000kmを航行。船内では南極についての自然、生き物
   環境対策などのレクチャーがあり、退屈せず。甲板上でのジョギングも可能
2月 3日 :トム達スタッフをキングジョージ島に下ろしコース設定してもらう。我々はゾディアック(ゴムボート)
による海岸遠足を楽しむ予定だったが、天候が悪く上陸できず、退避航行となった
2月 4日 :午前はデセプション島へ上陸し海岸遠足を楽しむ。午後はグリニッジ島へ上陸
2月 5日 :レース日だが、天候悪く上陸できずレースは延期。アイチョウ島へ移動し上陸。午後はハーフムーン島
に上陸しペンギン、アザラシと対面
2月 6日 :今日も天候が悪く上陸できず、明日の予報も悪く、結局キングジョージ島での大会は出来
ず南極大陸本島アンドボード湾に移動しそこで洋上マラソンを行うこととなる
2月 7日 :洋上マラソン大会、レースのあと南極半島に上陸し、ペンギン、アザラシ、クジラと対面
2月 8日 :来るときと同様、2日間掛けてウシュアイアに戻る。
2月12日 :ウシュアイアーベノスアイレスーマイアミーシアトルー成田経由で無事帰国、帰りもフライトキャンセルでシアトルに宿泊

6、まとめ
成田空港の大雪による閉鎖のため、8時間以上遅れて出発したが、結局42時間40分かかり、丸一日遅れてベノスアイレスに着いた。そのため当初ベノスアイレスでフルマラソンを走る予定も幻の大会となってしまい、前途多難を思わせた。そして、その悪い予感もあたり天候が悪く3日間待ったが回復せず、南極半島アンドボード湾のオーロラ号上での洋上マラソンとなった。
しかし、無事完走でき、念願の世界7大陸フルマラソン制覇を果たすことができた。
このツアーでは、”米国50州+D.Cを走る会”会長のDeamやマリンコープマラソンに詳しいランナー、フル百回楽走会海外会員希望の香港、アメリカのランナーなどと知り合い、友達の輪を広げることができた。
また、今回、南極マラソンに集まった多くの海外の冒険ランナーたちとも出会い、彼らの気力、迫力、情熱、ユーモアなどがまるでちがうことを実感し、それにひきかえ、今の私は小さな平和、安逸な暮らしに慣れすぎているのではないかと、反省させられた。私自身、その小さな豊かさに慣れず、おぼれず、高い志、より大きな目標、チャレンジ、夢などの大切なものを失わず、これからも健康のため、生きがいを求めて前向きに生きるため、この世界7大陸フルマラソン制覇を糧にして、マラソン人生を生き続けていくつもりである。この気付きが、今回の南極マラソンの大きな収穫だった。


ランナーズ、岐阜新聞に掲載

 

完走証と上陸証明書


 


岐阜テレビに出演





































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