2009年 室堂会 裏年懇親会

11月14日(土) 16:00 受付開始  18:宴会

会場  河内千丈温泉(セイモアスキー場)清流


武藤 翔峰   平成21年11月16日


11月14日(土)白山・室堂会の裏年懇親会が河内千丈温泉(セイモアスキー場)ホテル清流で行われた。

50年前、我々室堂員はボッカ(荷物を担ぎ上げること)やガイド、皿洗い、食堂・炊事の手伝い、室掃除、ふき採取、登山道の補修、遭難登山者の救助など学生アルバイトとして白山・室堂で働いていた。

あれから50年・・・あのときの懐かしい仲間が木下主任さんのもとに集まり、楽しい同窓会を開いた。

今年84歳の誕生日を元気に迎えた木下主任さんはじめ、ぼっかさんだった大阪の大山口さん夫妻など13名のメンバーが集まり、50年前にタイムスリップして昔話に花を咲かせた。

9ちゃんが昔懐かしい写真を収めたスライド「白山室堂物語ー青春編」、「白山室堂物語そして50年」の素晴らしいスライドを作ってくれ、夜が更けるのも忘れて昔を思い出していた。

















 

 



 






























  




















  



  

  

  



 



  




鶴  仙  渓



河内千丈温泉へ行く途中、紅葉がきれいな鶴仙渓へ寄って行った。

鶴仙渓(かくせんけい)は石川県加賀市山中温泉にある渓谷。大聖寺川の中流にあり、「こおろぎ橋」から「黒谷橋」に至るまでの、約1kmの区間を指す。砂岩の浸食によって数多くの奇岩が見られる景勝地であり、南北に長い山中温泉街と並行し、温泉客の散策地としても人気が高い。 鶴仙渓は明治時代の書家、日下部鳴鶴が好んだ渓谷に由来している。

奇岩としては烏帽子岩、蛙岩、弁慶岩などがあり、3つの橋が有名である。

こおろぎ橋
鶴仙渓の一番上流に架かる総檜造りの橋で、全長は21m。鶴仙渓、または山中温泉のシンボルとしてよく登場する。名前の由来は昆虫のコオロギであるとも、行路が険しいことから「行路危」であるとも言われるが、詳しいことは不明である。

あやとり橋
こおろぎ橋より更に800m下流に架かる橋。橋名はあやとりと平仮名表記。デザインを施したのは、華道草月流家元の勅使河原宏で、竜がうねりを見せるような独特の形に、鮮やかな赤紫が目を引き、強烈なインパクトを与える。ただし、あまりの奇抜な意匠ゆえに、温泉情緒にそぐわない、風景に一致していないなどという批判意見も強い。

黒谷橋
あやとり橋から更に500m下流に架かる橋。コンクリートアーチ橋で1935年(昭和10年)8月竣工、全長36m。白を基調とし、大正時代を思わせるようなレトロ調の意匠が特徴で、欄干と親柱は御影石を使用、床板は小石を洗い出ししているなど、工夫が凝らされている。古くは山中温泉を訪れた奥の細道の松尾芭蕉も渡った橋で翁を祀るお堂、芭蕉堂は近くにある。




  



  







  



  







  





  



  







  







  











那  谷  寺



帰りは途中、ここも紅葉で有名なな那谷寺へ寄った。

那谷寺は養老元年(717年)泰澄法師が、越前国江沼郡に千手観音を安置したのが始まりとされる。その後寛和2年(986年)花山法皇が行幸の折り岩窟で輝く観音三十三身の姿を感じ、求る観音霊場三十三カ所はすべてこの山に凝縮されるとし、西国三十三観音の一番「那智」と三十三番「谷汲」の山号から一字ずつを取り「自主山厳屋寺」から「那谷寺」へと改名。

南北朝時代に戦乱に巻き込まれ荒廃した。近世に入って加賀藩藩主前田利常が再建。この時の大工は気多大社拝殿を建てたのと同じ山上善右衛門である。

前田利常は、江沼郡の大半を支藩の大聖寺藩に分置したが、この那谷寺がある那谷村付近は自身の隠居領としたため、その死後も加賀藩領となった。(後に領地交換で大聖寺藩領となる)

元禄2年(新暦1689年)奥の細道の松尾芭蕉は弟子の河合曾良と山中温泉で別れ、数日前滞在した小松へ戻る道中参詣し、奇岩霊石がそそりたつ遊仙境の岩肌を臨み句を詠む。

      石山の 石より白し 秋の風 芭蕉 

境内には句碑もある。







  

  

  

 









  



































  

























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